登山家の栗城史多さんが亡くなった。彼の挑戦の舞台でもあるエベレストでの出来事だ。
栗城についてのご報告 : 栗城史多 公式ブログ
僕が彼を知ったのはテレビ番組が最初だっただろうか。あるいは当時人気が出始めて間もない頃のiPhoneで、彼の電子書籍がベストセラーになっていたのを購入したのが先だったかもしれない。
美しくも恐ろしい、エベレストの世界に魅せられて
当時登山に全く興味のなかった僕がエベレストという世界に釘付けになったのは間違い無く彼の影響だ。その後テレビで彼が出るたび、あるいは彼でなくともエベレストが題材の番組を見つけるたび、壮大で、美しく、それでいて人を寄せ付けない恐ろしさを併せ持つエベレストの映像に釘付けになった。
すごい若者がいるものだと、時代の寵児的な扱いをされた彼だが、世の中の見る目が変わっていったのは、度重なるエベレスト登頂に対して道半ばで撤退を繰り返すことが通例になったあたりからだろうか。
飛行機事故や登山中のトラブルで同行者したシェルパやカメラマンが亡くなったり、ルートやプランが現実離れしているという意見が聞かれるようになったり、また自身も4回目のエベレスト登頂で重度の凍傷にかかり指を失うなどしたあたりから、僕自身も「そろそろ同じスタイルでの登山はやめた方が良いのではないか」と感じることはあった。
「否定の壁」への挑戦
ネットで彼に対数誹謗中傷を目にする機会も多くなり(これに関しては、同意するに値しない酷いものばかりであったが)、傍目に見ても、当初のように、純粋にチャレンジを楽しめなくなっているのではないかと感じていた。とは言え、それに対する栗城さんのリアクションは、いつもユーモアと優しさと勇気にに溢れていた。
その後もそれなりに情報を追っていたつもりではあったが、今回のエベレスト挑戦は知らなかった。過去の撤退に対し、何か具体的な変更があったのかは分からないが、今のままでは恐らくまた撤退という結果になるだろうという思いが僕の中にもあったことは事実だ。
今回の挑戦にあたり、栗城さん自身の心境は、どのようなものだったのだろう。限界を感じながらも辞めるという選択肢を持てなかったのか、彼に向けられた数多の「否定の壁」こそがモチベーションになったのか。一つ言えることは、恐らく栗城さんは、僕のような凡人には遠く及ばない精神力で今回のチャレンジをしていただろうということだ。
「挑戦」が残したメッセージ
それゆえの事故だったとも言えるかも知れない。しかし、彼の死をもって、「無謀なチャレンジはやはりすべきではない」というメッセージが広まるのだとしたら、それこそ彼が最も意図しないことだろう。僕は栗城さんの諦めない姿を見て、たくさんの元気をもらった。彼の言葉の幾つもが、今も僕の中に生き続けている。死という、最もあってはならない結末になってはしまったが、それを含めた彼の生き様をどう受け取るかは、他でもない僕たち自身に委ねられている。